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御本尊

挨拶をかわす創価学会のメンバー(タイ)

日蓮大聖人の仏法は、すべての人が今世の内に、そのままの姿で成仏できると説いている点が、他の教えと大きく違います。

御本尊は、漢字と梵字で認められたものですが、日蓮大聖人の仏法を実践する人はこれを用いて、自身の内に具わる仏の生命境涯(仏界)を覚知させ、開き顕すことができます。

日蓮大聖人は、この最高の境涯を表現する手段として、御本尊を認められました。御本尊は、法華経に説かれる「虚空会の儀式」を用いて認められています。虚空会とは、宝石と財宝で飾られた巨大な塔が大地から出現し、全宇宙から諸仏らや他の衆生が集い、仏の説法を聞く集いです。

御本尊の中央には「南無妙法蓮華経」、その両側には、十界という様々な境涯を表した、仏や菩薩をはじめとする衆生の名が認められています。それらが御本尊に含まれているのは、永遠の仏の智慧と慈悲を現す南無妙法蓮華経に照らされた時、あらゆる境涯が、本来の輝きを示し現すことができる、との意義を表しています。

両手を合わせて一人の女性に挨拶をする3名の男子部員
[© Seikyo Shimbun]

御本尊とは「根本として尊敬する対象」という意味です。日蓮大聖人の仏法を実践する人は、自宅の仏壇に御本尊を安置します。日々、御本尊に向かって唱題し、法華経の一部を読誦しますが、その実践は、自身そして一切の生命の尊厳へ思いを致し敬う行いです。

御本尊に題目を唱えると、自身に具わる仏の境涯が開き顕されます。これにより智慧、勇気、慈悲、生命力が湧き、人生の様々な困難を乗り越える力を得て、ありのままの姿で生命を輝かせることが出来るのです。

御本尊は、ある意味で、生命に内在する無限の可能性の青写真とも言えます。私たちに欠如しているものや、自身の外に求めなければならない何かを表したものではありません。

また、御本尊は、本来あるべき世界の姿であり、現在の困難を克服した理想の姿を表しています。

法華経に説かれる「虚空会の儀式」の重要な場面では、無数の「地涌の菩薩」が、突如として登場します。仏のような彼らは、仏の教えを堅持し、仏滅後の苦悩と争いに満ちた時代を変革して、万人に幸福をもたらす誓いを立てた仏弟子なのです。

御本尊に南無妙法蓮華経と唱えることは、日蓮大聖人の教えの通り、最も深い次元において、地涌の菩薩の使命を、自分自身の生命に呼び覚ますことなのです。

このように、創価学会の会員は、釈尊や日蓮大聖人の精神的遺産を継承し、世界平和と生きとし生けるものの幸福を目指して、自らの日常生活という現実の中で、自身もまた人々も、仏の境涯を現せるよう努力しています。

仏法の実践